イメージするのは海。
時に穏やかで、時に激しく、どこか優雅でとても気持ちよさそうな・・・そんな情景。
南国の夏の浜辺を連想させる。平和でとても楽しそうな人々を。
その反面。
海の底。静かで、とても暗く、その暗闇に呑み込まれてしまいそうな恐怖。
其処にいるモノの瞳は無機質で何にも関心を示さない。どこぞのスラム街のような冷たさを感じさせる。
まさに表と裏。そんな感じだった。
いつからこんな事が出来たのかは知らない。
だけどその力はいつも僕の心を締め付けた。


歓喜の声を室内いっぱいにひろげ、ロティは叫んでいる。
泣いているのか、笑っているのかどちらともいえない。まるで雄たけびのようだ。
まぁ、愛しの部下に逢えて嬉しいのだろうけど。そんな窒息せんばかりの勢いで女性を抱きしめるのはどうかと思う。
メモリーも手をパタパタと動かしてとても苦しそう。
ミサさんも我、関せずといった感じで屋敷内を勝手に探索していた。
自分の家なのにこういうときは所在がない。
何をしようかと視線を泳がしていたらミサさんと目が合ってしまった。
しばしの沈黙の後。
「君は此処に一人で住んでいるのでしょうか?」
と聞いてきた。
とりあえず頷いて答える。
なんとなくだけど僕はこの人が苦手だ。
ミサさんはとても整った顔をしている。男女共にモテそうで会ったばかりだけどとても良い人だとはわかるんだけど。
何故かそれ作り物の顔のような気がして怖い。それも無表情の所為なのかもしれないけれど。
気が付けば別の場所に移動したのかミサさんは居なくなっている。
唐突にドスッ、という打撃音。
見てみればロティは床に伏していた。
確かにあんな勢いで抱きしめられたらそれは困るだろう。
大方、メモリーの拳をみぞおちに頂いたといったところか。
「大丈夫ですか?」
とメモリーに声をかけた。
苦笑い。
困ったような表情で、やっちゃったーなんて舌を出して笑う。
「全然、平気さ。久々にメモリーの愛の鉄拳を腹部に喰らって・・・体力、気力共々回復したってもんだ。もっといつものスキンシップしよう!」
といって、巨漢は元気よく立ち上がる。
というかあんたに訊いたわけじゃないんだけど・・・。
凄い勢いでメモリーに突進するものの、カウンターの裏拳を喰らい巨体が中に舞う。
ロティってマゾなんだろうか。
ガタン、と窓から音がした。強い風が吹いたのだろう。
窓から見える外は既に日が落ちていて、暗くなんでも吸い込むブラックホールのように思えた。
それも当然か。
ただでさえ高台にある屋敷、それに加え街には明かりがない。
見慣れていた光景のはずなのに、心が痛い。
今日は星も月も雲に隠れてしまっている。
ただ風が窓を揺らす。
「・・・悲しいね。なんでかな」
不意にメモリーがそう言った。
何が悲しいのか。何を悲しむのか。
そういうものは解らなかったが、僕は同意できた。
メモリーにも悲しみの理由はわからないらしい。
「レンが見つからないから、悲しいのかな?この街がそういう気持ちにさせるのかな?」
なんだろうね、と僕に笑いかけた。
その笑顔は、そっと触れるだけで崩れ落ちそうなほど弱々しいものだった。
どうして良いかわからずに笑い返す。
空気が冷たい。
・・・あ。
誰が開けたのか、窓が開いていた。
閉めようと窓へ近づく。それをいつの間にか復活しているロティに止められた。
ロティに肩を掴まれ向かいあわされる。
「メモリー。・・・ミサを呼んで来い」
僕を見つめたままロティはそう言った。
僕に伝えることがあるから目を逸らすな。その瞳はそう言っているようだった。
会ったばかりだがロティにはおちゃらけたイメージがあった、けれどそれは真剣さが伝わるような低く、しっかりした声だ。
無言で頷き、メモリーは奥へと移動した。
何故だろう。そこには僕の立ち入れる空間など無い、と感じてしまうのは。
なんだろう。この今にも聞こえてきそうな楽しそうな声は。
誰かの思い出の中に居るのか、とも思ってしまうほどその声は鮮明で、儚い感じがした。
そっと、手を触れてしまうだけで崩れ落ちそうなほど脆い。そんな声。
幼く無邪気な笑い声。
勿論、周りにそんな子供はいない。
ただの空耳。そう済ますことも出来ただろう。・・・だけどそれはいつまでも耳に残った。
何だ。僕の心を侵すその声は―――――――。
「ティト」
名を呼ばれた事により、現に呼び戻された。
さっきまで目の前に居た人が窓際に立ち、金色の髪を夜風にあてこちらを見ていた。
その瞳は見つめられるとこちらが視線を泳がしてしまうほど真っ直ぐで澄んでいた。
何を言われるのか。僕には分かった気がした。
だから聞きたくない。
その、僕の心を見透かすような澄みきった瞳で見ないでほしい。
僕はただ何かから逃れたいという気持ちで心がいっぱいになってしまうから。
痛い。
チクチクと、無数の針が精神を刺し続けてるような痛み。
やめて。
僕の心を覗くのはやめて。
本当にその瞳は僕の心を覗いているようだった。
何があったのか。
何をしていたのか。
全て知っている。そんな瞳。
そんな錯覚を受けるほどにロティの視線には力があった。
ロティの口が動く。
なんでこんな時に限ってスローモーションにみえてしまうのだろう。
きっと、紡がれるのはお別れの言葉。
折角出会えたのにナァ、なんて言っても彼等には彼等の目的があって此処へ来たのだ。
早くても遅くてもいずれ別れる運命。
でも、僕はそんな言葉は聞きたくなかった。
そしてロティは何かを言った。
「      」
無意識に自分で聞こえないようにしているのか。
何を言っているのか分からなかった。
ただ僕は顔を伏せていた。
頬を伝うモノを彼に見せない為に。
だけどそれも長くは続けられない。
こんな僕を見て不思議に思いロティは近づいてくるだろう。
ほら、もうロティの足が見える。
この距離で顔を伏せていて足が見えるってかなりの至近距離じゃないだろうか。
こんな距離なら聞きたくなくても嫌でも聞こえてくるだろう。
聞こえてしまうと分かったら急に気が楽になった気がした。
これが諦めというものなのだろうか。
肩に手が乗せられる感触。
そして、
「寂しいのか」
そう言った
胸を槍で一突きにされたような衝撃が走った。
満開の桜が赤く染まり、一瞬にして、枯れ落ちた。心の内側を表現するのならそんな感じ。
その言葉の意味を理解するのですら時間がかかる。
思考が一瞬にして凍る魔法でもかけられたように、僕の頭の中は凍りついた。
ロティは視線を逸らすことなく僕を見つめていた。
きっと彼が肩に手を置いてなかったら僕は床に倒れてしまっていただろう。
それだけ彼の手が大きくてとても暖かい感じがした。
そして気がつけば泣いていた。
頭の中を様々な感情が逆巻いていた。
中でも一番強いのは嬉しい事。
僕の感じていた思いを気付いてくれた。
それがとても嬉しかった。
視界が霞む。それが自分の涙だと気付いたのは少し遅かった。
泣いているところを見られた事は恥ずかしかった。けどどこか心地良かった。
ロティが笑ってる。
さっきとは違い無意識に聞こえないようにしてるわけではないのに、ロティの口にしていることは僕の耳には届かない。
歪んだ僕の心をそっと優しく包んでくれているかのように優しい空気が流れた。
不意に後ろから肩を抱かれた。
顔は見えなくてもそれが誰か分かった。
「メ、モリー」
その人の名前を口にした。
ぼやけてみえた彼女の顔は、それでも分かるほど優しく微笑んでくれていた。
その笑顔でどれだけの散らばった心が救われただろうか。
声を殺して泣いた。
彼等は何かを言うわけでもなく見守ってくれた。
ただ心が語りかける。
『無理はしないで泣いて良いよ』
カタン、と何かが音を立てて崩れ落ちた気がする。
「っ・・・あり、がとう」
やっとの思いでその言葉を搾り出しす。
僕は声を出して泣いた。
悲しかったのか、嬉しかったのか、それすらも分からない。
狼の遠吠えともとれる泣き声が、死んだ街に響いている。
生まれたての赤子のように、護ってあげたくなるようなそんな声で、長くなるだろう夜を起すのように。
サァ、風の吹く。
その風はまるで街が泣いているような音を奏でた。

どれくらいの時間が経ったのか知らない。
その間、何をするでもなく。ただ傍に居てくれた。
そのおかげなのだろうか。
季節的にはまだ寒いのかもしれないけど、暖かく感じられたのは気のせいではないと思う。
「もう、大丈夫。ありがと」
そう発した声が思ったより元気がよくて自分自身ちょっと驚いてしまった。
ぐしぐしと頬にあった涙を拭き、頭を勢い良く振った。
「ふふっ、夕立にあった小動物みたい」
満足げにメモリーが微笑む。
「小動物・・・」
ちょっとショックかもしれないと思っていたら。
「確かに」
なんて今まで遠くから傍観していたミサに止めを刺されてしまった。
可愛いって意味だよ、とメモリーがフォローしてくれたが複雑な気分だ。
男として可愛いと言われるのは嬉しくもあり、悲しくもある。
ふと気が付けば金髪の巨漢の姿がなかった。
何処に行ったのだろうかと部屋を見渡してみるが見当たらなかった。あの巨漢がいたらまず目に留まるだろうし、はてと考え込む。
「隊長なら出立の準備をなさっていますよ」
「え?」
ミサの言った言葉が自分の考えていた事を見透かしたみたいで驚いてしまった。
何で分かったのだろうか、などと考えていたら、
「ティトさんは考えている事がお顔に出すぎです」
と冷淡なつっこみ。
でもなんか笑いを堪えてるように見えるのような気がするのは僕だけだろうか。
顔を逸らして肩震わしてるあたり。
僕の中にあった無表情で冷たいっていうミサのイメージが明後日の方向に変わってしまいつつあった。
「あれ・・・。出立って?」
と疑問に思った事を口に出した。
いや、意味は分かっていたけれどそれを否定して欲しかったのかもしれない。
知り合えたのだから、もっと長く一緒に居たかった。
でも、僕に引き止める事は出来ない。
キシキシ、と心が軋んだ。
古い家を歩いた時の音と似たそれは心を落ち着かせてくれる半面、いつ崩れ落ちるか分からない恐怖を植え付けるかのようで。
さっきほどじゃないけれど、心臓の音が早い。
息も口でするほどではないが上がってきている。
「ティト?」
メモリーに自分の名前を呼ばれ、現実に意識が戻った。
いつの間に伏せたのかわからない顔を上げて「何?」と出来るだけ平静を装ってそう尋ねる。
表に出してはいけない。
気付かれてはいけない。
この人たちに、これ以上迷惑はかけてはいけない。
口の中で呪文のようにそう繰り返す。
そうする事で、比較的自然と笑えたと思う。
それこそ良家のお嬢様並の完璧な笑顔。・・・とまではいかないが近いところまで持っていけた。
とん、と肩に手を置かれた。
振り向かなくてもそこに立っている人間がロティだと分かった。
深呼吸か、ただのため息か。
ふぅ、という渋い声がした。
「ったく。何?・・・じゃねぇだろう」
呆れたような口調だった。
次の言葉が読めず、少々首を捻る。
ぐりぐりぐり〜。
「いたたたたたたたっ」
巨大な両拳をこめかみに当てて、ぐりぐりとねじられた。
「なぁに呆けてんだよ。お前も行・く・の!」
「―――――え?」
ロティの唐突の言葉に思考が停止する。
お前も行くの。
お前も行くの。
お前も行くの。
頭の中でそう繰り返し、言葉の意味を理解しようと頑張る。
「僕も・・・・行く?」
信じられないと言った感じで口に出した。
未だに混乱中。
ロティの言葉の意味は分かっても理解できてない。
そんな感じ。
「なんだ。嫌なのか?」
ぶんぶん、と思いっきり頭を振って否定した。
嫌なわけはない。
行きたい。
うん。
とっても行きたい。
一緒に居たい。
これが素直な気持ち。
だけど。
"何か"が足元に纏わりついて離れない。
そんな不安。
正体不明の影が足に絡み付いて街から出さないように仕向けているかのようだった。
足元を見る。
そこにはあるはずのない誰かの顔が浮かび上がるようで恐ろしい。
何かを言いたそうで何かを恨むようなその瞳はまた僕の決心を鈍らせる。
どうすれば・・・。
パッシーン!
・・・ん?
いきなり乾いた音がした。そして左頬が痛い。
一瞬だけど目の前を星が舞った。
つまり、要するに、あれだ。
僕は目の前に居るメモリーによって左頬に渾身の右張り手を貰ってしまったのだろう。うん。
「って、なんで!」
あまりに唐突かつ理不尽な暴力に、くわっと音をたてんばかりの速度でつっこみを入れてしまった。
僕の頬を張った当の本人は「なんでって」と呟きながら、照れ笑いなのか何なのか分からない笑みを浮かべて。
「なにやらモヤモヤしてたみたいだったから、ここは一発スパッとしてやった方が良いかなー・・・。なんて」
と続ける。
痛かった〜?と訊くその口調は絶対に心配はしていない感じ。
というか訊くくらいなら最初から殴らなければ良いのに・・・。
「痛かったよ」
左頬を大袈裟にさすりながら膨れっ面でそう言った。
ごめんごめん、といって彼女は笑う。
でも僕は態度とは裏腹に彼女に感謝をしている。
本当にその一瞬で僕のモヤモヤしてた気持ちを祓ってしまったのは事実だから。
頬を張られて痛いという気持ちより、モヤモヤを祓ってくれた嬉しさが勝ってしまったのだ。
「ちょっと待ってて。準備をしてくるから」
そう言って僕は小走りに駆け出す。
背後から「おーう。焦って怪我なんてすんなよー」なんていうロティの声が聞こえた。
ふと、何故だろう、とある疑問が頭の隅に湧いた。
ホント、昨日今日の付き合いのはずなのに、何故此処まで居心地が良いのだろう、と。
でも、まぁいいか。とその疑問について深く考えないことにする、いつになく前向きな自分がいた。
それは決して悪い事ではない。
いつも後ろ向きな考えだから、こういう時くらいはこんな感じで良いと思う。
「そういえばこんなにたくさん笑ったのって久しぶりだなぁ」
そう言って口元が緩む。
誰も見ていないのは分かっても何故か恥ずかしくなって広い屋敷の廊下を顔の熱を取るかのように頭を振って走った。



本当に良いのですか?――――と沈黙を破ったのはミサだった。
彼が準備と言って去った後、彼の気配が完全に絶たれた後での発言はさすが慎重派のミサというべきなのだろうか。
隊長も隊長でさっきの威厳ある態度は何処へやら。「なにが?」なんて気の抜けた返事をする。
「確かに、私達の目的の半分は果たされました。メモリー副隊長はこうして無事なお姿を見る事が出来ましたし、レンさまだって無事、・・・とは言いかねますが御自分の足で帰還した。と電信がありました」
ですが・・・。とその後を続けようとして彼女は黙ってしまった。
ミサの言いたい事は分かる。
分かるからこそ、私も何も言えない。
いやそれは何か違うか。
ミサの気持ちも分かるし、隊長の考えている事も分かる。
どっちも間違ってはいないから、何も言えないのだ。
「ですが・・・もう半分の目的は、果たされてはいないではありませんか・・・」
搾り出したような、か細い声。
泣いてしまうのではないだろか。とも思えてしまってちょっと驚いてしまう。
サァ、とミサを励ますかのように風が吹く。
季節に似合わず暖かな風がこんな街で吹く風とは思えないほどの言い香りを運んでくれた。
「確かによぉ・・・」
顎にある無精ひげをかきながら、今まで長距離を全力疾走してましたー、っていう感じでだるそうに言った。
「この街に来た目的は果たせてねぇけど、レンが無事にバルレアに帰ったんならどんな具合か見に行くのが普通だろ?」
なんかだるそうというより、眠そうと言った方が当てはまるかもしてない。どす、と今にも寝てしまうんじゃないだろうかという感じで床に座り込む。
「だからあいつをバルレアに連れて帰っちまえばある意味もう半分の目的も果たせるように思うんだ・・・けど」
その先の言葉は言わなくても私には分かった。
ミサは分かっていないのか。次の言葉を息を呑んで待っている。
「あいつ、元凶じゃないだろ。どうみたって・・・。何より臭気がないんだよ。あいつにゃ」
そう、彼にはそういったモノの臭いがしなかった。
それは戦いに身を投じてる者のみに分かる独特のもの。
いわば"血の臭い"というものだ。
言われて気付いたのか、あからさまに今気付きましたーって顔をしてミサは口をあけた。
バルレア領内で起こった一夜にして壊滅したこの街。
その生き残りである彼がなんらかの原因は知っていると思うのだけど、根本的な部分で間違っている気がしてならないと感じているのは私だけではないと思う。
街の様子を見たってそう。
この街の様は最近「死んだ」というものじゃはない。
もっと昔。
それも一年や二年などではなく、もっと前から死んでいんじゃないのかな。と思わせるほど生々しく死んでいるというよりはどちらかというと乾いて廃れている状況だ。
科学的な根拠は分からないけど、見たところディルの生まれる前からこうだったのではないか、と錯覚させる。
その矛盾を感じているのは絶対に私だけではない。
隊長もミサも同じ考えに行き着いたのか、顔を上げ視線が合うと大きなため息をついた。
結局は振り出しに戻ってしまった事によって脱力してしまう。
一番不可解な事は別の場所にあった。
それは人間の亡骸が一つも無い事。
この街だって決して小さくはない。
仮にバルレア領にどっかの国が侵略したとしても無抵抗のまま全員捕虜になったとも考えにくいし、となれば死体の一つでもあればその問題も解決できるだろうが・・・。
生憎、この街で見つけたしたいといえば動物のものばかり。
しかも血の跡など何処にもなく、血の臭いもしない。
「あーもう、わっかんないなぁ」
そう言って私は近くにあったソファーに体を預けた。
ミサも分からないのか聞き取れないほどの声でなにかぶつぶつ呟いてるし、隊長も隊長で何を考えているのか、窓から外を見つめていた。
奥のほうから走る音が聞こえた。
ティトの準備が終わったのだろう。
「おまたせー!」
息を切らせながらとても良い笑顔で彼が現れた。
その笑顔は今まで私達が思案していた事を忘れさせてくれるかのような綺麗な笑顔だった。。
隊長もミサも同じ気持ちなのだろうか、二人の表情に笑顔が戻った。
不思議な子だなぁ。と思いながら私も笑う。
さて、んじゃ行こうか。といった隊長の言葉で皆扉に向かう。
ふと窓から外を見た。
街は暗く、月の明かりだけが全てだった。
その街の色は全てを吸い込んでしまいそうなほど深く、鮮やかで。
月明かりは唯一その世界の全てを知る神のように思えた。
出口に向かう。
こんなにいっぺんに重くいろんな事を考えてしまう夜は初めてじゃないだろうか。とそんな事を考えながら。



「おまたせー!」
そう元気良く言い放ったのは良いが、皆の雰囲気が変な事にちょっと戸惑った。
何というのだろう。
告白の場で告白と同時に現れた第三者。例えるならそんな感じ。
僕が笑顔だった所為なのか分からないけど、釣られて笑顔になる皆を見てちょっとはほっとした。
『不思議な子』
ふと何処かで声が聞こえた。
出所は定かではなく、僕の体の中に響く声といった感じだ。
何処となくメモリーの声に似ていた気がするけど、それは気のせいだろう。
「さて、んじゃ行こうか」
ロティの言葉が合図となり皆が歩き出す。
背後からその姿を見ていて、不思議と絵になる光景かも。なんてのどかな感想を抱いた。
ギィー、といかにも老朽化が進んだという感じの音を立てて玄関の扉が開く。
外はまだ暗く静寂という言葉がぴったりなほど静まり返っている。
そこそこ強かった風も止んでいて、ある意味不気味な光景なのかもしれない。
肌寒い空気が扉の外にはあった。
ガコォン、と重々しい音を立てて僕達を無事に送り出した扉は役目を終えたかのように堂々と胸を張ったように見える。
いってきます。
心の中で誰もいない家に向かいそう言った。
さっきメモリーに引っ叩かれたおかげだろうか。本当は不安なはずなのに、何故か楽しかった。
その姿は初めて家を出た子供のようで好奇心満々という顔をしているんじゃないかな。
自分の今の顔を想像し笑ってしまう。
・・・?
気付けばロティがこちらを見ている。
珍獣を見ているかのような眼差しで何か言いたそうな顔をしている。
そんなおかしな顔をしていたのだろうか、と思わず自分で左頬を抓った。
痛い、なんて当たり前な事を思い、馬鹿な事をしてるなぁと思う。
「ティト。お前、荷物は?」
あ、そういう事か。
確かに出かけるのにほとんど手ぶら状態の僕を見たら不思議に思うだろうなぁ。と納得。
ちなみに部屋に戻って用意したのは、藍色の布を一枚。
広げて前に出せば僕の姿なんて簡単に見えなくなってしまうほど大きな物だ。
「あったかいよ」
そう言って、藍色の布を羽織い、いかにもあったかいぞーというポーズをとってみる。
はぁ、と呆れたとも取れる白い息を吐いて、
「そういう事言ってんじゃねぇよ」
とロティは言った。
「一応、遠出するんだぞ?そんな簡単な身支度で良いのかーって意味だ」
あ、なるほど。と胸の前でポン、と手を打った。
確かに、ちょっと持っていくものが少ないかなー、とは思ったけど他に持っていくものもないというかなんというか。
それにあんまり大荷物でも疲れちゃうだろうし、その他色々理由があるけど全部説明するのも面倒だったので「これが一番大切なものだから」と告げた。
まぁ、それも偽りではない。
寂しかったときにこれを眺めているだけで不思議と心を落ち着かせてくれる。
僕にはそういう欠かせない大切な物なのだ。
僕はどんな顔をしていたのだろうか。
ロティやメモリー、さらにはミサまでも笑っていた。
「そうか」
「そっかぁー」
「そうですか」
そう言って頷く。
皆、言葉は違ったけけど、僕の大切なものを分かってくれたという事がとても嬉しかった。
そして僕達は歩き出す。
他愛のない会話をし、笑い合う。
ずっと憧れていたその光景、この日の出来事を。
数年後、僕は昨日のように語れると思う。
夜はまだまだ長い。
今はとにかくこの日を楽しもう。そう心に決めて僕は慣れ親しんだこの街をしっかりと踏みしめて歩いた。



かつては新緑の街と呼ばれ、今では死んでいる街"シュア"。
そこからはるか南西の方向。
パチン、と指を弾き笑う男がいた。
形の珍しい黒の帽子を被っていて黒のスーツ姿はとても目立つ。
「見ぃーっけ」
そう言った声はとても楽しげで、その瞳は街中で仲の良い旧友を見つけたかのように輝いていた。
でも言葉とは裏腹にそこには誰もいなかった。
何かの廃棄された工場なのかその一番高い煙突の上にその男は座っている。
熟練の大工などでもその高度は命綱があったとしても足がすくむほど高い。
そこまで高い位置にある所為か。風がとても強く、ピッチリするはずの襟が絶えず揺れている。
よっこらせ、なんてじじい臭い言葉を発して煙突の上に立つ。
背筋をピンと伸ばしたその姿は見ほれてしまうほど美しいものだ。
その男はあろう事か足を踏み出す。
そこは煙突の上だということを忘れているかのように悠然と、恐れなど微塵に感じさせない足取りで。
カツン、と音を立てて何もない空中を歩いた。
さも当然と言うような顔をして真っ直ぐと歩く。
うっすら笑っていた口元が開いた。
口調は変わらず楽しげだが、聞く者を何処か不安にさせるようなそんな言い方で。
今度は楽しませてくれよ・・・"打ち込まれた者"よ。と呟いた。

続く
SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO