夢を見た気がする。
淡く、切なく、恐ろしい夢。
けれど、思い出せない。思い出そうとすると、眩暈がする。胸がしまる思い。
忘却の中、残っているのは薔薇の花が黒く滲んでしまうようなそんな夢。
今、私の心は鎖で囚われてるのかもしれない。形を変えるように、歪ませるようにその力は強く大きい。
怖かった。
不安定な精神。指でそっと押しただけでも、崩れ落ちてしまう。そんなココロ。
ふと、私は死んでしまうのだろうか、その疑念が心の片隅を侵食しはじめた。
根拠はないがもとより自分のいる状況が分かってはいない。
悲しい記憶、楽しい記憶、さまざまな記憶がセピア色の画面に映され螺旋状に私の周りを廻る。
だから『死』というモノを予感した。
私の周りに廻るものは走馬灯のようで漠然と死んでしまうのではないか。そう思った。
一瞬。
暖かな空気が私を包み込み、今までの状況も一変して変わる。
その風は今までの恐ろしい光景を忘れさせてくれるような優しいものだった。
周りの走馬灯は風に流されたように消え、心を蝕む不安を摘み取るように、優しく癒す。
その空気はとても心地よかった。
とても良い香りがする。
玉子焼きのような甘い香り。
硝子の心を優しく包むコートのような。
そして初めて、自分の置かれてる状況が分かってきた。
私は横になっている。
目を瞑っているのか、目の前は暗い。
極めつけはこの香り。
何故私はこの状況下にいるのか全く謎だった。
この様な状況になっているのかを思い出そう。
えーっと・・・確か私は任務で失踪した部下、レンを追い、屋敷に入ってその奥の部屋で少年に会って・・・。
そこからの記憶がない。
ひょっとして私は凄くまずい状況に置かれてるのではないか。
体を動かそうとする。
ビクともしない。おまけに目も開かない。
「おどろいた」
急に耳元で声がした。
誰!!と叫ぼうとしたが声も出ない。
「もう意識が戻ったんだ」
などとその声は言った。
幼い声。
おそらく意識を失う前に見た少年。
不思議と怖さは無かった。
動かない身体、いつ殺されてもおかしくない状況にもかかわらず。恐れを感じないのは不思議だった。
それはきっと少年の気配に敵意がないからだと思う。
むしろ少年は楽しそうに鼻歌交じりで周りをパタパタと動き回っている。
「な・・・にをしている」
自分の口を動かす。
目も微かに開いた。とても良い香りが漂っている
「ん?何って、料理〜」
などと少年は楽しそうに答えた。
行動が理解できなかった。
「ね。そろそろ動けるようになるから一緒に食べよ」
と今にも踊りだしそうな雰囲気だ。
状況は分かったようで分かってない。
何故食事に誘われるのかまず分からない。
私はこの屋敷に敵がいると思い来たわけだから、この少年は敵である可能性は高いのであって。
力の程も分かってはいないこの少年を安易に信じるのは愚かな行為だ。
足りない頭をフル回転させてそういう結論に行き当たる。
少年の言うとおり体には力が戻ってきている。
体は七割動かせる。
今なら襲われても対処は出来るはずだ。
私はなんとか体を起こし
「えっとね。私がこの屋敷に来る前にレンという女が一人この屋敷に訪ねて来なかったかな?」
と、なるべく敵意を煽らぬようそう聞いた。
少年の動きは止まる。
私も身構える。もしレンを倒したのなら並みの大人以上の力は持ってる事になるので侮れない。
・・・あれ。
腰にはいつも下げている剣がなかった
それもそうか。武器を持った人間に武器を持たせたままにしておくのは危険なはず。
強盗に強盗してくださいといってるようなもの。
と納得した。
・・・私はアホか。感心してる場合じゃない。
辺りを見回す。
目測八メートルの壁に剣は立てかけてあった。
少年はまだ動いていない。
剣を取ろうかどうか。
分かってる。敵かも知れない人間の前で武器も持たないで居るのは無謀だ。
「うーん・・・。知らないや」
そんな思考している中。少年は背を向けたまま変わらぬ口調でそう告げた。
知らない・・・?
そんなはずはない。この屋敷に来たのは間違いはない。
部下は屋敷に入るところまで通信で確認している。
この少年は嘘を言っているのだろうか?
今は確かめる術は無い。
時折襲う頭痛と吐き気により、思考がまとまらず、何か訊きたいのに言葉が出てこない。
「あ。そこにおいてある薬飲んで良いよ。多少なりとも体調よくなると思うしさ」
近くの小机に小さなビンがあった。
「・・・これ?」
中には紺色の液体が入っていて不思議な匂いがした。
「うん。見た目よりは悪くない味だと思うから安心してね」
ビンを手に取ると良く分かる。それはとてもドロドロしていた。
喉の通りが悪そうというか、一口でごちそうさまというか。
「大丈夫だよ。毒とか入ってないから」
振り返った顔に浮かぶ満面の笑みに怖気が走る。
それなのにとても綺麗で呑み込まれそうなそんな笑顔。
背筋を伸ばして歩み寄る少年の姿はとても絵になる。
ふと、心がざわついた。
その姿に魅入るように、凝視する。
これを、心が奪われると言うのだろうか。
周りの景色が秋の枯葉舞う街道になったような錯覚。
――――――キリッ
「っ!」
私の中の何かが悲鳴を上げた。
肉体か。はたまた精神か。
何を、と言おうとした。
コポッ
言葉を発すると同時にそれは口から吐き出した。
紅い液体。
(血・・・。)
何故。どうして。その言葉が自分の中を飛び交った。
少年からはいつからか笑顔が消え、凛とした表情で、冷たく見つめる。
(痛いよ・・・。)
体が引き裂かれるような痛み。一般人なら確実にショック死するほどだ。 
何がおきてるのか分からず少年を見る。
視界はぼやけ、少年の姿もかすれる。
『無理をするから』
優しく、だけど冷たい誰かの声が私の体を貫いた。
「うぁ・・ぁあ!」
押しつぶされる体。幻とは程遠い。現実と夢の狭間。
『もう少し・・・寝てなさい』
意識が落ちそうになっても全身を走る激痛がそうさせてくれない。
それは自ら死を望むほど辛い。
「大丈夫?」
―――――ブツン。
そういった音といきなりの少年の言葉であれほど辛かった痛みも、口から出ていた血も最初から無かったかのように消えていた。
「今のは一体・・・」
少年は頭の上にクエスチョンマークを浮かべ首を傾げる。
その様はとても無邪気で愛らしい。
今の幻を洗い流すかのような無垢な笑顔。
「料理・・・冷めちゃうよ?」
少年は多少顔を曇らせ、食べよう?としぐさで語りかけてくる。
それは自分が少年を敵視してる事を忘れさせた。
「あ、ありがとう」
素直にその言葉が私の口を通過した。
満面の笑みでテーブルのほうへ向かう。トテトテなどという擬音が似合いそうな可愛い足取りだ。
立ち上がる。気が付けば頭痛も吐き気も無くなり体調は良好といったところ。
部屋にはとても良い香りが立ち込め、食欲をそそる。
「こう見えても料理は得意なんだ〜」
と微笑んでくる。
どのように見えたら料理が得意不得意なのかは謎だけど。
黄色い料理を箸に取り口に運んだ。
「どう?それはクジャナの鳥の卵の料理なんだけど」
口調は自信ありげだが、顔はとても不安そうな顔をしていて、そのしぐさがとても可愛らしくてつい笑ってしまった。
「うん。美味しいよ。ありがとう」
そう言い別の料理も口に運ぶ。
正直、少年の料理はとても美味しかった。
悔しくもその腕は私の数段上。
もっと練習しよう・・・。
一応・・・女ですから。

カチャカチャと音を立てて少年は食器を洗っている。
不思議と少年への警戒心はもう無かった。食事中の少年との会話や少年の仕草などに親近感を抱いたのかもしれない。
少年の後姿は今にも踊りだしそうなほど楽しげで、そんな姿を見て自分自身楽しくなった。
「料理、得意なのね」
そう自然と話しかけた。特に理由も無く少年とこういう会話をしたいと思えるのは嬉しい。
洗い終わったのか手を拭き、向き直る。
「僕、料理作るの大好きなんだ。料理をしてると嫌な事を考えないし、不思議と寂しくもないんだ」
そう言って笑みを浮かべた。
ザァ、と窓から風が入った。
外を見れば空は赤みがかり、日は地平線へと沈もうとしていた。
何故か悲しい気分になる。
昔からそうだった。夕日を見ると言葉では言い表せない悲しみに襲われる。
一日の終わりだから、などという単純な理由などではなく、記憶の片隅の何かが悲鳴を上げるような・・・。
あ、と少年が声を上げた。
いつの間に移動したのか、少年は窓辺に立っていた。
少年の黒髪が風に揺れる。
その光景に何故か背筋が凍った
    ダメ
「またお客さんだ」
声は変わらないがどこか違う少年の声。
どことなく笑ってるような感じの声が部屋に響く。
先程までの笑いとは違い、無垢な感じがない、聞いていて背筋が凍るような、そんな笑み。
      ヤメテ
少年が振り向く。
本能が危険の信号を出してる。今少年と向き合ってはいけない。
そう思うが身体は動かなかった。
金縛りにあっているわけでもなく、ただ一瞬の恐れで身体に力が入らない。
何故恐れるのか、何を恐れるのか分からないまま力が抜けた。
解らない?
そんなわけはない。私は解ってる。何を恐れているのか。
        ソンナメデ
正気じゃいられない。
殺気じゃないのに、敵意でもないのに、ただその少年の存在に恐れるなんて。
でも理由が分からない。
年端もいかない、無邪気な料理好きの少年を恐れる理由。
           ワタシヲ
「出迎えなきゃ」
そういってこちらを向いた少年は、目に光が無く。
その姿は獲物を見つけた獣のように。
              ミナイデ――――。
不敵な笑い。
壁にかけてあった青白く光るマントのようなものを纏い駆け出した。
私は止める術も無く、怖さで溢れ出しそうな涙を堪えるので精一杯だった。
気が付けば肩が上下するほど呼吸は乱れていて、まるで何時間もマラソンしたかのように汗をかいている。
膝が笑い、普通に立つことすら困難だった。
少年が去り際に言った言葉は私の耳に何度も反響した。
『友達になってくれるかな』
私は笑っていた。
涙も堪えきれず頬を濡らす。
それはまるで生まれたばかりの赤子みたいに。
ただ誰もいなくなった部屋の天井を見上げ笑い、泣いた。
でも泣き言は言ってられない。
嫌な予感がした。
少年を追わなくてはいけない。
私の勘がそう告げて、剣を取り、ふらつきながらも走り出した。


――――流石にこの事態には俺自身も驚きを隠せなかった。
自身の部下を送りこみ2名も消息を絶たせてしまったのは俺の過失。あの放置された街が異常なのは前から知っていたのに何たる不覚。
その異常な街に一人ずつ送り込むなど馬鹿としかいいようが無い。
いや、数人一気に送っても同じ事だったかもしれない。
ただ単にこれは俺自身の甘さだ―――――

荒地の岩に座り頭を振ったりうなったりしている金髪の男が一人。
ここまで自分の感情を体全体で表現できる人間も珍しい。
「・・・だがしかし、こうなってしまった以上先立たれた二人に謝る事しか出来ない。」
頭を上下左右に激しく振る。
よくもあんな動きをして気分を悪くしないものだ、と感嘆するほどにその動きは激しい。
「メモリー!レン!すまない!俺が至らないばかりにそんな事に!!」
男は空に向かってそう叫ぶ。
これが街中だったらどんな誤解を生む叫びになるだろうか。
「ロティ隊長、まだお二人が亡くなってしまったとは限りません。そのような言い方はおやめ下さい」
いつからそこ居たのか男より数歩下がった場所に赤い髪の女性が立っていた。整った顔をしているが右目の下に大きな傷がある。
「すまない、ミサ。自分自身の不甲斐無さに、つい・・・」
ロティと呼ばれた男はオドオドしながら謝る。
ガタイのわりになんとなく情けない。
「すぐ謝るのもおやめになった方が良いと思います。隊長なんですから三席のあたしにヘコヘコしてどうするんですか」
ミサと呼ばれた女性は無表情だが、プンプンという擬音が聞こえてきそうな感じで怒っているのがわかった。
サァー、と静かに風が吹いた。頬を通り過ぎる風は今の季節丁度いいくらいの冷たさだ。
「目標まではもはや目と鼻の先です。先を急ぎましょう。早くしないと日が暮れてしまいます」
ミサはそういって空を見る。
日はもう既に傾いていた。
そう言われ、ロティは岩場からゆっくり腰を上げた。
「そうだな。手遅れになってないことを祈って行きますか・・・。ミサ、ついて来い」
そういってロティは歩き出す。
迷いもなく、先に待つものなど恐れてないかのように。
だがミサはついていかず立ち止まったままだった。
「隊長」
ミサの呼びかけにロティの歩みは止まる。
ロティは振り向かず
「ミサ、迷いがあるのか?戦士として生きると決めたなら覚悟を決めてるはずだが」
そう言った。
「もっともです。隊長。ですがあたしの言いたい事はそうではなく・・・」
ロティはかすかに振り向き不満そうな顔でミサを睨んだ。
日は地平線に沈む寸前。空も赤みがかっている。
ミサは先程と変わらぬ表情でロティを睨み返し言った。
「そちらは来た道です」
と、サァーとまた風が通り過ぎる。
お互い固まったまま動かない。
美術館に飾られた一つの絵のようだ。
「目的地は肉眼で確認できる距離にあるので間違わないで頂きたいです」
そう冷たく言い放ちミサは目標の街へ歩き出す。
そのやりとりはとても上司と部下という感じではなく、悪友という感じだ。
照れ笑いをしてロティも後に続く。
歩む先、そこはかつては自然に囲まれた新緑の街「シュア」と呼ばれた場所だった。


気分は高揚していて、身も軽い。
自分の鼓動が聞こえてきそうなほど。
日を空けず連続で客が来るのは稀で僕にとってはちょっとしたお祭り気分だった。
早く会いたい。
自身の逸る気持ちが足取りを軽くする。
あまりの嬉しさに笑わずにはいられなかった。
もうすぐだ。
もうすぐで『お客様』に逢える。
街の入り口からそう離れてない場所に人影はあった。傾いた日のおかげで影が長い。
そこには二人居た。
風のように駆け、ズザッ、そう音を立てて二人の前に立った。
二人の人間は急に現れた僕に驚いたように身構えた。
「何者!」
赤髪の女性が叫ぶ。
手に握られた光るモノはチャリ、という音を立ててこちらに向けられた。
一足飛びで懐に潜り込まれてしまう距離。
明らかにこの女性の放つ気配は殺気だった。
「ま、待って」
咄嗟にそう口にする。
「待ちな。ミサ」
そう言ってもう一人の大柄な男が前に出る。
「俺の名前はロティ。ロティ=ファイ。ちなみにそっちの無愛想なのはミサ=クララ。お前の名は?」
ロティと名乗った男は笑い僕にそう訊いてきた。
ミサと紹介された女は殺気こそ収まったが、目つきは鋭く僕を睨んだままだった。
「僕は・・・ティト」
自分の名を口にする。
とても久しぶりに自分の名を口にした気がした。
ロティは満足そうな顔をして近寄ってきて僕の身長にあわせるようにかがんだ。
「ティト。ちぃっと聞きたい事あるんだけど、良いか?」
はいもいいえも言わないうちにロティは続ける。
「レンとメモリーって女、知らないか?俺の可愛い妹みたいなもんなんだよ。昨日一昨日と、この街に入ったはずなんだが・・・」
二人ともべっぴんさんだぜ、とそう付け足した。
手を顎に当て首を傾げた。
レンとメモリー。
レンと言う名には聞き覚えがあった。たしか、屋敷であったあの女性も探していた人だ。
メモリーという名については聞いた事はない。
「レンという人を探してる人には会った。メモリーっていう人は知らない」
そう言った。
お、と明るい顔をしてロティはミサに近付き、何かを耳うった。
ミサの表情も多少和らいだ気がする。
「そのレンを探してる人ってのは多分メモリーって女だ。何処にいるか知ってるかい?」
ロティは変わらない笑顔でそう言った。
「た、たぶんその人ならまだ僕の家に・・・」
僕はロティという巨漢の迫力に少しだけビビっていた。
いや、迫力というか声の大きさに驚いていた。
「では、その貴方の家に案内していただけますか?」
変わらぬ無表情さでミサが言った。
僕はただ頷き来た道を歩き出す。
それに二人は続いた。
先ほどまでのあれだけ楽しかった気分も何故かしぼむ。
それも当たり前か。
僕は『友達』になりたかった。
でも、このお客様は僕と『友達』になるつもりはない。
そう、用があるのは僕ではなく、この街だ。
こういうのを何ていうんだっけな・・・?
拍子抜け。だったかな。
はぁ、と思わず大きなため息をついた。
「ん?どうした?ディル」
そのため息をみたのかロティが話しかけてきた。
トクン、と心臓の音が跳ねた。
もしかして、ここで言えば友達になってくれるんではないだろうか。
そんな思いが浮かぶ。
―――いつか誰かが僕に言った。
『貴様に友と呼べるモノは不必要な存在だ。いつか、邪魔に想う』
それは何処だったか思い出せない。
暗く、冷たい声だった気がする。
『いつか、その者達を消してしまうのは貴様自身だ』
だから、やめておけ。その声はそう言った。
その言葉が今でも僕の頭にこびりついている。
僕が勇気を出して言え。と思うたび、ヤメテオケ。とその言葉だけが頭の中をよぎる。
その度、ギシギシと心と身体がズレる気がした。
何度その思念のおかげでチャンスを逃してきたのだろう。
仕方ない。
僕がそう思った所為かもしれない。
でも今回は違う。
この機を逃したら絶対後悔する。そう思った。
理由はわからないが僕の本能がそう告げた。
初めて僕の意思がその思念に勝った。
二人のほうを向き、息を吸う。
多分、今僕はとてもイキイキとした顔をしているだろう。
そんな僕を見て二人はちょっと困惑気味だ。
「あの―――」
意を決し、言おうとした時。
「メモリー!」
唐突なロティの叫びに出かけた言葉をしまいこむ。
背後から乱れた息遣いが聞こえた。
振り返る。
紅く染まった廃墟と化した街の路。
その中央に屋敷で話した女性、メモリーの姿があった。

続く
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